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東京高等裁判所 平成3年(う)151号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人らはいずれも無罪。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人仲田晋作成名義の控訴趣意書及び控訴趣意補充書並びに同篠田龍谷作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官山口一誠作成名義の答弁書に、それぞれ記載してあるとおりであるから、これらを引用する。

各控訴の趣意は、要するに、被告人ら五名が、原判示の日時、場所において、Nの選挙運動者である甲乙の両名からそれぞれ二万円の供与を受けた事実はないから、被告人らはいずれも無罪であるのに、原判決が、右事実を認めて被告人らを有罪としたのは、被告人ら関係者の捜査段階における自白等証拠の評価を誤り事実を誤認したもので、判決に影響をおよぼすことが明らかである、というのである。

そこで、所論にかんがみ原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて、以下のとおり判断する。

一  本件公訴事実と原審における審理経過

本件公訴事実は、被告人五名に共通で、その内容は、「被告人は、昭和六一年七月六日施行の衆議院議員総選挙に際し、長野県第三区の選挙人であるが、同年六月一一日午後九時ころ、同県下伊那郡〈番地略〉明鳳会高森支部事務所内において、同選挙区から同選挙に立候補するNの選挙運動者である乙及び甲の両名から、Nに当選を得させる目的で、同人のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを知りながら、現金二万円の供与を受けたものである。」というのであるが、被告人らは、飯田簡易裁判所が、右公訴事実について同年八月一一日付(以下とくに断らない限り、月日は昭和六一年を指す。)で発した略式命令に対し、正式裁判を申立て、原審において被告人らに対する事件が併合して審理された。他方、供与者とされる乙、甲の両名については、長野地方裁判所飯田支部に公訴が提起され、同支部において審理されたため、本件とは各別に審理され、判決も別個になされている。しかし、当然のことではあるが、本件と甲らに対する事件とは、法律上いわゆる対向犯の関係にあり、社会的事実としても、金員授受の面では同一事実の裏表の関係にたつことから、両事件において取調べられた証拠は殆ど共通であった。

被告人らは、原審公判廷において、本件金員の授受自体を争い、この点に当事者双方の立証が集中し、原判決の判断もこの点に力点が注がれているので、以下金員授受についての原判決の事実認定を検討し、所論の当否を判断する。

二  本件選挙をめぐる周辺事情と本件会合に至る経緯

原判決は、(弁護人ら及び被告人らの主張に対する判断)の中で、次のように認定している。

ア  昭和五八年一二月施行の総選挙で長野三区から選出された衆議院議員Nの後援会として明鳳会があり、その下部組織として高森支部が、更にその下部組織として高森町内の山吹など七地区にそれぞれ支部が置かれていた。本件選挙当時、被告人Aは、明鳳会高森支部の支部長、同Bは、同支部副支部長兼山吹支部長、同Eは、高森支部事務局長、同Cは、山吹支部副支部長であった。

イ  同六一年五月下旬ころ、六月二日に衆議院が解散され、七月六日に衆参同日選挙が行われることになり、Nも出馬表明をしたため、明鳳会の準備も始まった。今回の選挙は、民社党の立候補者が予想され、前回期待し得た同盟系の票が貰えなくなり、大蔵官僚出身の宮下候補も飯田方面への食い込みを図っており、加えて、同日選挙はないとの風評から選挙態勢固めに若干の出遅れがあったことや、農繁期で支持者の動員が難しいことなどもあって、N陣営にはある程度の危機感があった。

ウ  六月七日選対本部となる事務所を開設した後、飯田市議会の保守系議員の会派である明政会所属のN支持議員が会合を持ち、市町村議員団を結成し、市議会議員を各支部に派遣し、町村議員を地元の連絡役として下部組織の強化を図り、支部主導の選挙運動を展開することになった。そこで、六月一〇日本部事務所において、N支持の市町村議員が集まり、担当の地区を決めたが、それによると、高森町、豊丘村及び松川町から成る北部地区の担当は、甲、乙及び関島一郎各飯田市議会議員の担当となり、高森町議会議員から被告人Dが同町の地元連絡役を担当する議員団副幹事長となった。

エ  明鳳会高森支部は、常設の事務所を持たなかったため、六月四日桃沢利一から北部自動車サービス工場跡の建物を借り上げ高森支部の事務所とした。そして、同月九日にA被告人とE被告人が相談し、同月一一日午後八時から右事務所で選挙対策役員の原案を決める役員会を開催することにした。他方同月一〇日、明鳳会本部からA被告人に、議員団の担当市議が高森支部を訪問するとの連絡があり、一一日の役員会の場に来訪を受けることとなった。

六月一一日午後八時ころ、高森事務所に被告人ら五名が集まり、長い座卓をコの字型にならべ、Aがコの字の縦棒の位置にあたる座卓に一人で座り、コの字の下の横棒の位置にあたる座卓の右にB、左にCが座り、上の横棒の位置にあたる座卓の左にE、右にDが座り、高森支部の事務所開きと選対役員人事の話し合いを始めた。午後八時三〇分ころ、甲および乙が本部事務所の運転手宮崎勲とともに来た。そして、甲および乙は、挨拶してA及びBに名刺を渡した後、Aに案内されて同人の座っていた座卓の左に乙が、右に甲が座り、宮崎は甲の更に右手やや後方に座った。AはBの右側に移った。そして、主として乙が、自分達と関島が議員団の北部担当になったこと、今回の選挙は厳しい情勢にあるのでN当選のために頑張って欲しいなどと話し、皆で選挙情勢について話し合った後、午後九時ころになって、乙が「ひとつ、しっかりお願いします。」と締めくくりの挨拶をした。

オ  甲及び乙が、宮崎とともに帰る際、Dは見送りに立ったが、他の者は見送らなかった。その後、被告人らは、中断していた事務所開き等の議題について話し合い午後一〇時ころ帰宅した。

ところで、所論は、本件会合に至る経緯には、甲側の事情として、当初の予定では、同僚市会議員の関島一郎及び池上一雄も出席の予定であったこと、当日の高森支部側役員の出席数や顔ぶれについては予め承知していなかったことなどの重要な事実が存在するのに、原判決が、これを認定判示しなかったのは、事実誤認であるという。

本件において、所論のような事実があったことは、証拠上明らかであるが、原判決が本件の経緯のなかで、その事実を明示しなかったからといって、原判決が、この事実を否定したとは解されず、原判決は、そのような事実を前提としてもなお、本件金員の授受に関する直接証拠である被告人ら及び乙らの捜査段階における自白が信用できると判断したものと認められる。したがって、右事実を摘示しないからといって、これを事実誤認という所論は当を得ない。

なお、右事実は、主として甲ら選対本部側の事情であって、被告人らの金員授受の状況に関する自白の信用性を判断するに当たって直接影響を与える事情とは思われないが、甲ら金員供与側の供述を検討するうえで考慮すべき事情であることは当然である。

そこで、次に原判決が信用し得るとした被告人らの捜査段階における自白を中心に原判決の当否を検討する。

三  本件捜査の端緒について

所論は、本件捜査は、密告や投書等根拠の不確かなものに基づく見込み捜査であり、しかも、それは甲のいわば政敵などから出た疑いがあるのに、原判決が、この点について十分な考慮を払わず、被告人らの供述の任意性、信用性を認めたのは、誤りであるという。

関係証拠によれば、本件捜査の端緒は、複数の外部協力者からの電話による通報や聞き込みによるものであったが、それが、所論の政敵によるものであるか否かを含めて、それ以上の詳細は明らかではない。しかし、捜査の端緒はあくまで端緒にとどまるのであって、これが、その後の捜査の性格を決めるようなものではないし、また、このように外部協力者からの情報等に基づいて捜査を開始することは、選挙違反等密行性の高い犯罪の捜査にはしばしば見られるところであって、これを、不確かな情報に基づく見込み捜査であるとして違法視するのは相当ではない。

四  被告人らの捜査段階における自白について

原判決は、被告人らの捜査段階での自白を詳細に検討しているので、以下にその自白の特徴等を摘記し、検討する。

(1)  任意取調中の自白

長野県警察本部は、投票日の翌日である七月七日、被告人らのうち、北海道旅行中のDを除く被告人四名に対し、飯田署への任意出頭を求め、早朝から取調べを開始した。その結果、AとEの両名は、その日のうちに、本件当日の会合の席上で甲から現金二万円入りの茶封筒を受け取ったという受供与の事実を認め始め、その旨の供述調書や上申書(〈書証番号略〉)が作成された。Bは、七月七日の取調べでは、受供与の事実を否認したが、翌八日の任意取調べの際、受供与の事実を認めるに至った。県警本部は、右三名と当日未だ否認を続けていたC及び甲の五名に対し、八日午後八時過ぎ以降本件公職選挙法違反の容疑で相次いで逮捕状を執行した。

(2)  A自白について

Aは、七月八日の取調べの冒頭で、前日の自白の撤回を申し出たが、取調官の説得ですぐに自白に戻り、その後は終始自白を維持し、同月一九日に釈放されたが、その後の七月二三日及び七月三一日の各検察官調書(〈書証番号略〉)でも自白を維持している。しかも、Aは、七月一〇日及び一一日の両日、弁護人篠田龍谷と接見したうえで自白を維持している。

(3)  B自白について

Bは、前記のとおり、七月八日の取調べで自白し、その後は終始自白を維持し、その間、七月一〇日、同月一一日、同月一五日及び同月二二日の四回にわたり、弁護人篠田龍谷と接見したうえで自白を維持している。そして、本件略式起訴後は、正式裁判の請求を避けるために、一旦は、同弁護人を解任したりしているというのである。

(4)  E自白について

Eは、前記のとおり七月七日に事実を認め、翌八日の供述調書二通(〈書証番号略〉)と九日の司法警察員調書(〈書証番号略〉)、上申書(〈書証番号略〉)、検察官に対する弁解録取書(〈書証番号略〉)では自白を維持したが、七月一〇日の勾留質問時から否認に転じ(午前一〇時から一五分間篠田弁護人と接見)、同月一五日に再び自白するが、翌一六日の検察官の取調べから再度否認に転じ(午後五時二分から二〇分間篠田弁護人と接見)、同月二〇日の司法警察員の取調べからまた自白に転じ、同月二四日に釈放されるまで自白を維持している。

(5)  C自白について

Cは、逮捕の翌日である七月九日の取調べから自白し、同日付の司法警察員調書、弁解録取書、検察官調書及び上申書(〈書証番号略〉)が作成されている。その自白は、七月一〇日の勾留質問及び翌一一日の検察官の取調べでも維持されていたが、同月一二日の司法警察員及び検察官の各取調べの際、一時的に否認に転じている(同日午前一〇時三三分から二〇分間篠田弁護人と接見)。その後一三日から一五日までは、自白が維持されていたが、一六日から二〇日までの間再び否認に転じている(一六日の午後四時四〇分から二〇分間篠田弁護人と接見)。そして、同月二一日からまた自白し始め、その態度は同月二六日の釈放まで続いた(その間二二日に篠田弁護人と接見)。

(6)  D自白について

Dは、同月一二日、北海道旅行の帰途辰野駅で逮捕され、逮捕直後の弁解録取書から同月二四日まで否認を続けていたが、二五日に自白に転じ、その態度は、三一日に釈放されるまで維持されている(その間同月一四日、一七日、二三日、二六日の四回にわたり篠田弁護人と接見)。

以上のような被告人らの供述の外形等によれば、A、B、Eの三名は任意捜査の段階で、また、Cは逮捕の直後から自白を開始していること、AとBは、弁護人との接見を経ながら、一貫して自白の態度を維持し、とくにAは、釈放後の取調べでも自白を翻さなかったことや、Bの釈放後の態度等、一般的には自白の信用性を高める事情が存在する。とくに、被疑者段階で弁護人を選任し、接見を通じてその援助を受けている等の事情は、一般に取調べの公正さを示し、供述の信頼性にもつながる場合が多いのである。また、EとCは、自白と否認をくりかえしているが、右に見たように否認に転ずる直前には、必ず弁護人との接見が行われていることを考えると、所論のように不合理な供述変遷とするのは、必ずしも相当ではない。Dが相当長期間否認の態度を崩さなかったのも、同人が現職の町議会議員であることを考えると、直ちにその自白の信用性に疑いを生ずべき事情とすることはできない。

原判決は、右のような被告人らの捜査段階における自白の経緯や状況等のほか、自白内容を否認供述と対比して詳細に検討を加え、各自白において述べられている本件金銭授受の状況が、それぞれその印象の濃かったと思われる部分で一致し、全体としても矛盾なく整合しているのに対し、否認供述において、前提として述べられている状況は、供述者相互の間で矛盾するところが多いばかりか、同一供述者の前後の供述さえ矛盾するところがあり、これらを統一して一定の状況を想起することは困難であること等を理由としてその自白の信用性を肯定した。

所論は、被告人らの自白内容の整合性があるとする原判決に対し、甲が現金入り茶封筒を被告人らに配った時の具体的な行動の詳細、とくに、甲がどのようにしてコの字型の座卓の中側に入ったか、座卓をまたいだのか、それとも、これを動かして入ったのかという点や、甲がどういう順序で封筒を配ったのかなどの点について、矛盾点やあいまいな点があると主張する。

確かに被告人らの自白を細かく検討すると、右の点については、被告人のそれぞれについて若干の供述変更が見られ、被告人ら相互供述の不一致もある。原判決は、これらの点についての被告人らの供述が、殊更に整合されないまま録取されていることを、同人らの自白の任意性を肯認する一事情としている。他方、被告人らの自白のうち、乙のしめくくりの挨拶が終了した直後に、甲が座卓の中側に入って参会者の一人一人に「よろしくお願いします」といいながら、現金二万円入りの茶封筒を座卓の上に置いて配布した、という金員授受の基本的事実については一致しており、供述の整合性が、保たれている。原判決が、被告人らの供述について、それぞれその印象の濃かったと思われる部分で一致し、全体として矛盾なく整合していると説明しているのは、これを指している。一般に、同時に目撃した事象に関する数人の供述が、細かい点で一致しないことは稀有なことではなく、したがって、その不一致が供述の根幹的部分の信用性まで否定すべき理由とはならないというべきであるから、原判決の右判断は、その限りで首肯できる。

五  甲ら選対本部側の供述について

次に、選対本部側の関係者のうち、本件金員授受問題の当事者である甲、乙及び運転手である宮崎勲の供述について原判決の当否を検討する。

(1)  甲の供述については

甲は、七月八日に逮捕された後、本件の供与事実を否認していたが、七月二六日の取調べから一部の自供を開始し、七月二九日に起訴されるまでその態度を維持していた。同人は、拘束中の七月九日、一〇日、一一日、一二日、一五日、一六日、一八日、二三日、二四日、二八日の一〇回にわたり弁護人と接見している。その自白内容は、当日高森支部の会合で、乙から手渡された茶封筒を被告人ら五名に配ったこと及び封筒の中に金が入っていることは分かっていたというに止まり、事前の謀議の存在及び配った金の調達方法等についての供述はない。

(2)  乙の供述について

乙は、七月一五日に逮捕された後、本件供与事実を否認していたが、七月二九日に至って、共謀の点を中心として、一部供与の事実を認めるに至り、同月三一日の取調べにおいて、また否認に転じた。同人は、拘束中の七月一五日、一七日、二三日、二八日、三一日、八月二日に弁護人と接見している。その自白内容は、六月一一日社会委員会終了後の午後一時少し前、明政会控室で甲と高森支部事務所を訪れるについて相談し、いくらか金を配ることになって、甲に取りあえずということで、一万円札五枚を渡したこと、その後甲が、乙の渡した金に幾ら足し、一人当たり幾ら宛やったかは知らないが、本件会合で、封筒入りの現金を被告人ら五名に配ったというのである。

(3)  宮崎の供述について

宮崎は、七月一七日の取調べで司法警察員に対し、乙と甲の話が終わった後、乙が被告人らに名刺を配り、その後、甲も被告人ら全員に名刺を配り、その後皆で選挙情勢等を話しあったというものであったが、同月二四日の検察官に対する供述調書において、乙と甲が挨拶した後、支部の人達と選挙の話をし、乙が立ち上がって帰りの挨拶をしようとした時、甲が背広左内ポケットから何かを取り出し、急に立ち上がって被告人らの一人一人に頭を下げるようにし、それを置くように配ったというのである。

甲の右自白は、本件会合の最後の段階で、乙が予め用意してきた現金入り封筒を、同人に促されて被告人らに配布しただけで、乙との事前共謀を否定し、金員配布の計画には関与していないといい、他方、乙の自白は、これらの点について真向から対立し、甲との事前共謀の一部を認めているが、配布すべき金員の準備等は、甲の裁量に委ねたというもので、両者の供述は、互いに責任を転嫁した内容となっており、仮に、本件金員の授受が実際に行われたとして、その金員準備の状況が、甲なり乙の供述どおりであったとは、容易には認め難いものとなっている。

原判決は、甲及び乙の自白のうち、甲の自白には、前後の矛盾があり、また、比較的印象が強く、鮮明に記憶している筈の部分に供述の変遷がみられ、信用のおけない部分の残るものとなっていると判断しているが、その反面、乙の捜査段階での自白は信用できると判断している。

次に宮崎の供述については、原判決は、同人が司法警察員に対し、「座机のようなものがあったという記憶はない。」と供述しながら、同時にこれと矛盾する供述をしていることからして、この供述は取調官の誘導により歪曲された疑いが残るとしながら、他方宮崎が、原審の証人尋問においても、「机が並べてあったという記憶がない。」とか、「乙が名刺を配ったのは、会合の途中である。」などと、客観的事実に反する不合理な供述をしていることからみると、所詮、同人の右会合の際の目撃状況に関する記憶は、極めて不鮮明なものといわざるを得ないと判断している。

所論は、原審が本件で唯一の第三者たる目撃者である宮崎の供述を信用しないのは不当であるという。しかし、宮崎の供述を検討すると、その内容は、甚だあいまいなもので、原判決の指摘するとおりの矛盾点や客観性の欠如が顕著にみられる。同人は、六月九日、N選挙事務所に自動車運転のアルバイトとして雇われたばかりの者で、N候補の後援会員ではあったが、これまで選挙運動に従事した経験もなかったし、運動への興味があったわけでもなかったと認められることに徴すると、同人がたまたま乙らの誘いによって、本件会合の席に連なる(甲のやや斜め後方であるが)ことになったからといって、会合の状況を逐一詳細に観察して、記憶していなかったとしても、これを異とするには足りないものというべく、ましてや、本件会合の状況が、選対本部から支部の運動員に対する挨拶や、運動の依頼などこの種の通常の会合と比べて、少なくとも外部に現れた状況による限り、著しい違いがなく、したがって、特に気をつけて観察していない場合には、記憶には残り難いものであったと認められるから、所詮宮崎は、本件会合に関する正確な記憶を持ち合わせていなかったもので、その供述が信用できないとした原判決は首肯できる。

また、所論は、原判決が、乙の捜査段階における自白を信用できるとしている点をとらえ、この自白が真実だとすると、現職の市会議員である甲と乙が、甚だ軽々しい動機から本件を敢行したことになるし、また、高森支部の参会者の数も判らないのに、事前に現金入り茶封筒が準備されていることになるが、どのようにしてそれが用意されたかも不明であるなどと主張する。

原判決が、乙の捜査段階での自白のうちどの部分を信用し得るとしたのかは、判文上必ずしも明らかではないが、仮に、甲との共謀の詳細まで乙自白どおりであるとすれば、所論の指摘するように、供与の動機が軽々しく、犯行計画が甚だ杜撰なものということになって、現金受供与に関する被告人らの自白の信用性にも影響を与えかねない。しかし、乙の捜査段階での自白は、前記のとおり、甲の自白とも真向から対立するうえ、大雑把でかなりいい加減な内容を含んでいるのであって、そのすべてを信用し得ないことは当然である。原判決が、本件被告人らに対する受供与の訴因を認定する上で、乙の右自白を採用したのは、本件金員授受についての供与者が甲と乙の両名であることを認定する限度で必要だったためと考えられる。原判決が、この点についての説明を欠いているのは、やや不十分というべきであるが、その判断が誤りであるとはいえない。

六  まとめ

いわゆる買収事犯の捜査は、金の動きを川の流れに例えると、下流の方から事実関係を解明し、次第に上流の方に捜査の手を及ぼして行くものとされる。本件捜査も、この常道に従って行われたものである。そして、被告人らに対する本件受供与の訴因についての証拠構造をみると、金員授受の事実に関する物証がなく、したがって、被告人ら関係者の供述に頼らざるを得なかった事案である。被告人らは、捜査段階において、受供与の事実及び受け取った金員の使途などを詳しく供述しているが、その供述を裏付けるに足りる客観的証拠に乏しく、その供述の信用性いかんが深刻に争われた事案である。他方、甲、乙ら選対本部関係者の供述が、甚だ不完全であるために、いわゆる供与者側の細かな動きや、選挙運動の全体像が解明されないまま終わっている。原判決は、前記のとおり、被告人らの自白の信用性を認め、主としてそのことから、本件金員の授受を肯定した。被告人らの自白が信用できる限り、供与側の事情に不明確な部分が残っても、本件訴因を認定して差し支えないから、原判決の判断も理由がないとはいえない。

ところで、平成四年四月一三日、当裁判所第三刑事部において、甲、乙の両名に対する公職選挙法違反事件について、原判決破棄、両名無罪の控訴審判決があり、この判決は、上告申立がなく確定していることは、当裁判所に顕著な事実である。右控訴審判決の理由の要点は、主として金員供与側の共謀の証拠が不足していること、犯行の動機付けとなるべき事情にとぼしいこと、共謀外の者を誘っているのは不自然であること、参加予定者が不明なのに結果的に甲と乙が同額を出し合ったことになっており、その関係が不明であること、当日の予定が複数の支部を回ることになっていたことから、高森支部だけに金を配る理由に乏しいこと、宮崎をわざわざ会合の席に出席させるという不用意なことをしていること、受供与者らの自白中甲の金員配布状況の細部についての目撃供述があいまいであること等を考慮すると、甲と乙が果たして本件のような買収を共謀し、実行に移したのは本当か、という疑問を払拭しきれない、というのである。

ところで、右事件と本件とは、法律上別個の事件であり、本件に右無罪判決の拘束力が及ばないことはいうまでもないが、しかし、本件は右事件といわゆる必要的共犯(対向犯)の関係にあり、社会的事実としても表裏の関係に立つもので、裁判所によって判断が区々に分かれるのは法的安定性を害するだけの結果となること、本件を有罪とした原判決を支えるのは、結局被告人らの捜査段階での自白であり、その信用性に関する原判決の判断は一応是認できるとしても、なお本件全体の経緯に関しては不明な部分があって、その評価いかんでは被告人らの供述の信用性に全く影響がないとはいえないことにもかんがみると、被告人らの捜査段階における自白を信用するについては、なお合理的な疑いを容れる余地があるものというべきであり、結局、本件については、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、犯罪の証明がないものとせざるを得ない。したがって、被告人らのそれぞれに対し、受供与罪の成立を認めた原判決には、事実の誤認があり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決全部を破棄し、同法四〇〇条但し書により次のとおり判決する。

被告人らに対する本件公訴事実は、それぞれ前記のとおりであるところ、被告事件につき犯罪の証明がないので、同法三三六条により、被告人らに対しいずれも無罪の言渡しをする。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小泉祐康 裁判官鈴木秀夫 裁判官川原誠)

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